大いなる光 |
2013-01-18 Fri 13:56
寒い日が続きますね。
みなさま、いかがおすごしでしょうか? 今日は、ハマっ子が、今はまっている本に ステキなことが書いてあったので シェアいたしますー。 イエス様はたくさんのお名前(ご品性)をお持ちですよね。 癒し主、救い主、万軍の主、などなど。 イザヤ書には予言的に「大いなる光」としてのイエス様が描かれています。 「暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。 暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。」 (イザヤ書9:2) 読んでいる本の中で引用されている別の本ですが、こう書いています。 「神様は、造られた全てのものに等しく、ご自身を現すわけではありません。 それはえこひいきではなく(中略) 受け取る側の心の状態によっては ご自身を明らかにすることができないのです。 それは、太陽は全てを等しく照らすけれど 湖と沼では、その光の反射に違いがあるのと一緒です。」 (Sheen, Fulton J. "The Electronic Church" 拙訳) なかなか、耳が痛いですね。 ところで「光」とは聖書的に何を意味するのでしょう? 詩篇119:105, 130; 創世記1:3を引用して 本では、それは「霊の健康に不可欠な祝福を保障するもの」で 「神様の導き」に他ならないと説明しています。 「光あれ」とおっしゃった主は 今日も御言葉を通して 私たちの日常の混乱と暗やみを刺し通し 光の領域を広げておられるのです。 作者は終わりにこう言っています。 「祈りの完成は 私の祈りに神様が応えてくださった時ではなく 私が神様の御心を知るまで祈り続ける時に定まる」 (Kierkegaard, Soren "Journals" 拙訳) 光を照らしてくださるのは、あくまで主であって 私たちの役割は、大いなる光であるイエス様を熱心にお迎えする ということでしょうか? 今日、みなさまのどんな暗やみも混乱も イエス様のお名前で光に塗りかえられる事を 信じお祈りします。 アーメン! ![]() (Hayford, Jack; Dick Eastman "31 Days Meditating On The Majesty Of Jesus")より |