「小さな死」 |
2015-01-27 Tue 15:21
こんにちは。えーと、ハマっ子です。
うっかり自分の名前を忘れてしまうくらいに、ごぶさたしております。 みなさま、いかがお過ごしでしょうか? さてたまには真面目に。 先日、映画「天国は、ほんとうにある」を見てきました。 「天国は、ほんとうにある」予告編 ↑↑Youtubeにある予告編です↑↑ 話題になったので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか? ストーリーの序盤で少年は大病を患いますが、とりなしの祈りが応えられて回復します。 ところが、後にそのことを振り返って父親は 息子を失うかもしれないという恐怖によって受けた傷は今も治らない、と言うのです。 病気の影もないほど元気になったのに、これは一体どういうことなのでしょうか? ![]() 誰かと死別する体験のことを「小さな死」と言うことがあります。 亡くなった方の中で生きていた自分(今まで共有してきた経験、これからも続くだろうと思われた関係など)が つまり、自分の一部分がその人と一緒に死んでしまう、と言うのです。 例えば、家族が事故にあった時の衝撃や 子どもが病気になって自分が代わってやりたいと思う気持ちには 「小さな死」が見られるのではないでしょうか。 ![]() ライフワークスでは時々 「私は身寄りがなくて」とか「一人暮らしで」というお電話を頂きます。 そういう場合、多くの方が「まわりに迷惑をかけたくないのでお葬式は簡素に」と続けられます。 個人的な意見を申し上げれば、お葬式は簡素で全く問題ないと思います。 ただ、「迷惑」とはなんだろうと考えずにいられないのです。 たった一人で生きているという方は、現代日本においてそう多くないでしょう。 葬儀には人ひとりの死と、数の多少はあれ「小さな死」がそこにあります。 迷惑と思わないでください。 どうか悲しませてください。 私達も自分自身の葬儀を、そこでしているのです。 ![]() |